すいかジュース探そう

こんにちは〜

嚙砕

ピーポくん

こんにちは〜

突然ですが年明け以降に観た映画を記録しておきます

  • THE FIRST SLAM DUNK
  • そばかす
  • RRR(2回目)

デカい音とデカい画面最高〜

『そばかす』を観に行ったとき、新宿駅の出口を間違えて道に迷い、映画館に着いたのは上映時間を15分くらい過ぎた頃だった。道を間違えたことに気づいた時点で本当にいやになってしまって、そのままUターンして帰ろうかと本気で悩んだ。帰らなくてよかった。

 

『エンドロールのつづき』を観たかったんだけど広く上映されてる時期を逃してしまいました。東京の映画館だとレイトショーしかやってないみたいなので昼間観るには厚木まで行かないといけない。

今年はたくさん物語を鑑賞したい! 映画もだけど、それより小説を読むための体力をつけ直さないといけない感じがする。

私は表現形態に関わらず作品をストーリーとして or 凝らされた工夫とそれに伴う思考の記録として解釈したいので、金銭的コストとか内容を噛み砕くために必要なリソースとかで鑑賞体験に格差が生まれるのが嫌なんですが、縦書きの文章を読む頻度が落ちまくっているため、なんとなく本屋から足が遠のいている。ただ、果たして読書の感覚を取り戻すほど時間があるのか、という問題はあります。

 

激変ほどではないけれども、生活が変化し、またしようとしている時期だ。あらゆる事項が決定しきらない状態をひとまず抜け出し、精神的負担と身体症状はだいぶ軽くなった。この勢いで全てを好転させていきたい。本当に、全てを……

良くも悪くも周囲に影響を与えやすい人の近くにいるとどうしても考え方が被支配的になってしまって感覚がバカになってくる。この「バカになる」とは自分自身をあまり大切にできなくなってくるということ。

例えば言われた通りに前髪を切ってみる、機嫌取りのため明るい声で話しかける、同じタイミングで笑ってみる、気に入ってもらうために、嫌われないためにすることはたくさんある。面倒臭い恋愛関係みたいだ。私が人間関係の面倒ごとから逃げに逃げているのは、こういうリスクを減らしたいということなんだと思う。人を疲弊させるよう行動するのは簡単で、全部やったもの勝ちなのだ。

 

「何がしたいのか」とよく訊かれるが、この質問は答える側の主体性を奪っていると私は考えている。訊かれる状況やお互いの立場や言葉の選び方によってそりゃ意味は異なるけれど、人自身、そしてまだありもしない将来を見定めてやろうという魂胆が漏れ出る言葉には品がない。質問される前に表現できていないならば、したいことなど無いか、意思表明できるほどの安全圏ではないということなのだと思う。

私はもう閉じていていい時期じゃない。持ち合わせている横暴さを社交性と愛嬌に変換させていかないといけない。開くために、安全圏を手に入れないといけない。

状況を解体すると必要な手順は分かり切っているのに、本当に難しいことばかりだ。私も含めて、環境に起因する難易度設定に苦しむ人が、できるだけ少なくなればいい。