すいかジュース探そう

こんにちは〜

そんなことするう!?流儀

顔。顔。顔。顔をたくさん見た。年上の人たちの。

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初めて会う人たちを観察してたくさん話して情報を得ることがフローの一部として組み込まれているような取り組みを、自分がするようになるとは思っていなかった。というかそういうのは大の苦手だと思っていた。実際やってみるとそうでもない。偏差値で言えば55くらいの成果を出せる能力があるのだなあと、ここ一年くらいで気づいた。

 

用事1(ワン)の後、新宿での用事2(ツー)を入れていたので、移動が発生。移動が好きだ。公共交通機関を使うのでも、自分の足でどうにかするのでも、どちらでもいい。今日は時間が余りそうだったから渋谷から新宿まで歩いた。用事2(ツー)は友人との食事だったのだけど、せっかく足で移動してるんだしと思ってラーメン屋に入ってみた。そんなことするう!? というようなことがしたかった。食事の約束入れてるのに、その2時間前にラーメン屋入るとか、するう!?

ここでポイントなのは、そんなことするう!? というようなことをするときは、自分でそんなことするう!? と思ってはいけないということ。めちゃくちゃになりたいとき、めちゃくちゃにやろうと思ってもうまくめちゃくちゃになれない。ステージでパフォーマンスをするときと同じ。それが当たり前の世界を演じながら、“普通”との乖離を肌で感じるのだ。何を言ってるのー?

 

 

大きいモールのファッションフロアは友達のことを思い浮かべながら歩くと楽しい。もし私がお金持ちだったら好きな友達たちに服を突然プレゼントしたい。はあお金ないです

 

ゆずの『フラリ』という曲が好きです。好きな人と全然脈がなくて嘆いている歌。脈なしの恋をしている人が、その恋が脈なしであることを強く自覚していればしているほど良い。清々しいから。脈なしの人たちはみんな自覚を持ってください。よろしくお願いします。

 

ラーメンはそうめんみたいでした

エ(略)ー(略)

今日はエイプリルフールだったそうです。四月馬鹿。エイプリル・フールて。口をすぼめる回数が多い。略称が存在しないのが不思議な長さじゃないですか?

エイプリルフールを楽しいと感じたことがない。嘘をついて人を驚かせて何になるっていうんだ。4月1日が誕生日の人だっているし、近い人の命日だという人もいる。アプリゲームとかいろいろな企業がこの一日のためにフェイクを作り込んで広報しているのを見ると、心の体温が少し下がる。黒焦げのパンを見たときみたいな感じだ。話題を集めたりイベントを演出したりするためになんでも理由づけに使う即物的な感じが好きじゃないのは、逆張りが趣味だからなのかもねとも思う。

 

数年にわたり有料の日記アプリで日記をつけていたが、もうやめようと思う。始めた当初は、記録のアイコンの色でなんとなく日毎の感情の変化が一覧できるところや、説明不足が許されているように感じられる雰囲気が好きだった。でもそういうところに甘んじたい時期はとうに過ぎていたような気もする。それに長い言葉を使ったって私の言うことがいつも説明不足なのには変わりがない。スマホよりパソコンでキーボードを打ったほうが楽でいいし。

 

2月中旬ごろに髪を15cmくらい切った。また切りたくなってきている。髪を切った後で母に会ったときには「ここから一年間は伸ばしなさい」と言われた。「髪切っちゃったの?」とか言われて責められた気分になるのは嫌だからその通りにするつもりでいるが、正直言って意味わかんないよと思っている。髪が短くちゃいけないんですか。女性らしい見た目がどうのとか言っていた気がする。女性らしい見た目を好む人に好かれろということらしい。そんなこと言う人だったっけ。どうでもよすぎる。女性らしいってなに! それでいうなら、私はわりとおとなしくて声も小さいから女性らしいと思われがちだけど「実際話してみるとギャップあるねー」みたいなことをよく言われるのは話し方とか考え方があまり女性的ではないからなんだと思うんですけどそれならなおさらどうでもよくない? 見た目で人を好む好まないを決める人にはあまり好まれたくないしさあ。

 

 

第一印象の話をしているのは分かるんですけどね

 

 

分かるんですけどね

 

 

 

あー! こないだアースミュージックアンドエコロジーで見つけた犬が9匹プリントされてるロンTを部屋着にしたい! てかアースミュージックアンドエコロジーてさあ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長 く な い ?

 

 

 

 

 

 

名 前 が

 

 

 

 

 

 

え 、 今 の ?

 

 

 

 

 

 

 

倒 置 法 (笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

さようならー

展示とキャロットハウス

友達がやっている展示を見に行った。友達は写真をやっていて、友達の友達は絵を描いている。私は友達の友達のことを知らなかったが、ちょっとだけ話したら友達になる手前みたいな感じで話せたので、順当にもう友達だと思う。

 

写真の展示に行ったことは数えるほどしかない。知っている場所や他の友達を写した写真や、それらを含め友達の投稿で見たことがある写真が一部展示されていて、「友達が展示やる」ってこういう感じなのかと実感できたのが最初の収穫だった。私は正直言って写真のことが全然分からないから、写っているものが 知ってる/知ってるような気がするけど知らない/明確に見たことがない のどこに分類されるか考えながら見た。知らない電車の車両を見て、遠くまで移動したいなと思った。小さい十字路の真ん中に鳩がいてそれを挟む形でこちら側とあちら側に自転車に乗った人がいる写真が本当に好きで、別にその風景は偶然だし意味なんかないのにそれを見つけて写真に収めたら見つけちゃった!って感じがしてしまいそうなのが嫌だけど、その写真はそんな感じがしなくてじっと見てみるとちょっと楽しくなってくる、くらいなのがいいなと思った。鳩十字路の写真の下には友達の写真が配置されていて、その壁(実際には窓)がかっこよかったのでスマホで写真に撮った。

 

イラストの展示もすごくよかった。どんなテーマなのか他の来場者に説明しているのを遠くで聞いていたから、「えーそれってすごくいいですね」とか「私もその気持ちになってみたい」とか心の中でリアクションした。言わなきゃ意味ないのに。さっき聞いちゃったけどリアクションしたいので私にも話してくださいって言えばよかった。嘘です。そんなことはしなくていい。

私は小さいシーズーが寝そべってモップみたいになっているのが好きなんだけど、ひココうきがちょっとだけそれに見えて、周りに浮かんでいるであろう雲のイメージも相まってすごくかわいいなと思った。小さいシーズーはぜんぜん飛行機じゃないけど。(でもそれがいい!)←合いの手

ココっぷが横目にこちらを見ているのがかわいくて気に入ったから缶バッヂを買わせていただいた。BGMのプレイリストを公開してもらうように頼んだ。

 

作者の人がそこにいる形式の展示に行ったことがなかったから挙動不審になってしまって、よくなかった。反省だ。友達に「まだ写真の見方が分からなくてさあ」みたいなことを言ってしまったのが本当にださくて最悪だった。だってそんなの別にどうでもいいから。「まだsh」くらいで言い始めたのを後悔してたけど、撤回したところで代わりに言うことが焦って思いつかなくなって、言ってしまった。もうださい。ああださい。

私もなにか展示したいなと思った。できれば音の展示がやりたい。来場した人に持って帰ってもらえるといいな。写真とか絵は物質だから買って持って帰ればまた見られるけど、音をそのまま持って帰ることは普通はできないから。CDとかデータとかじゃあんまり意味ないよなと思う。物質として残らないがゆえにハードウェアを通じなければ鑑賞体験が再現されないのは、音楽の弱いところだ。図形譜とかを売ってもいいのかもしれないけど、相当頑張らないとアイデアの焼き増しになるからハードルが高い。

展示自体はがんばれば全然やれそうな感じがする。友達たちがいるし。家にこもって勉強していた頃は展示とかワークショップって一体どうやってやるのか疑問だったけど、散歩をよくするようになったり共通項の少ない人とたくさん知り合ったりするうちに、ルールなんか気にしなければ無視できるんだと思えるようになった。

 

反省も収穫もあって良い時間だったからお腹が空いて、クレープを食べた。ツナマヨポテトと迷って、クリームチーズシュガーにした。

 

 

 

 

伝え忘れていたんだけど展示の題がすごくよくて本当に尊敬しました。

ソリッド屋←褒め言葉

どんどん四月になる。どんどん五月になる。どんどん六月になる。どんどん七月になる。どんどん八月になる。どんどん九月になる。どんどん十月になる。どんどん十一月になる。どんどん十二月になる。どんどん一月になる。どんどん二月になる。どんどん三月になる。またどんどん四月になる。

 

しばらくお待ち状態2名

 

顔見知りの人たち十数名で集まる機会があった。でもお互い別に仲良くないので「お疲れさまです」と事務的なこと以外一言も交わさない人も何人もいた。この親しくなさは私たちの間での共通認識だと思う。そう思うから「お金集めまーす」「写真撮りまーす」だけ言って解散したのだ。だって実際私もみんなもお互いに興味を持っている振りすらしないから。

 

 

二ヶ月くらい前から、写真について文章にまとめたいなと思っていた。即時性と一意性の点で、芸術表現のツールとして利用される記録媒体として他より優れているなあとなんとなく考えていたのだ。

文章とか描画とか造形とかは試行錯誤の蓄積そのものが作品であるのに対して、写真は一瞬(またはその連続)の記録そのものであるから、問いと答えとのキョリがみじかい。鑑賞するに耐えうるかを判断できるようになるのは撮った後であって、撮る前に多くを考えることはできない。なにより被写体もカメラ自体もフィジカルなものだという点がいい。像を平面に焼き付ける物質的な現象それ自体に文脈が生じることはなく、撮影者の自発的な働きかけのみによってストーリーが生まれ保存されるというところが、非常にシンプルで信頼がおける構造だと感じる。

そもそも同時に全く同じ写真は撮れないし、メタデータ的な情報も含めれば尚更だ。作品そのものが誰がいつどこで何を撮影したかを証明している。

他方で特に言葉なんかはどうにでも嘘をつけてしまうから不安定だ。それに言葉自体が意味を持つから、それゆえに扱う人によって解釈が異なることが簡単に齟齬を生む。言葉はなまもので扱いが難しくて気を抜くとすぐダサくなるのに対して、写真はとにかくソリッドでかっこいい。

いいなあ羨ましい。写真みたいな存在になりたい。もちろん「写真を撮る人になりたい」とは別の意味。

 

「即時性と一意性」とは言ってみたけれど、この表現が正しいとは思わない。どう表せばいいんだろう。何かを見つけたときの新鮮さをほぼそのまま表す術に手を伸ばしやすい、ということが言いたかった。単に唯一無二だとかいう話ではなく。唯一無二なんか何を使ったって簡単にはなれない。

 

関連して思ったのだけど、制作を日常的にやっている人特有の雰囲気が好きなんだよな私は。答えを出すことに関して他人を頼りきっていないのがかっこいい。あと試行回数が多いのもかっこいい。自分にはないところだから憧れる。憧れるから、そういう人たちに嫌われたくない。できるだけ対等でいられるよう目指したい。

尊敬する相手に対しておこがましい人になりたくないんです。「私はあなたを尊敬しています、興味深いです、だからあなたの近くにいます」とわざわざ宣言するくせにその言葉と矛盾した言動をするような人のことです。言葉ばかりの尊敬を、無自覚にも免罪符にしようとする人。

私個人の経験からいえば、「面白いねえ!」とか「その発想いいねえ!」とかだけ言ってくる人って一緒にいてもだいたいあんまり楽しくない。その驚きって単体では別にそんな意味ないし。そういう人に限って、その面白さや楽しさを理由にしてその人のエゴを押し通そうとしてきて苦手だ。私はあなたの娯楽じゃないんですけど、と思う。なんかイラついてきた! 記憶の中のその人たちの顔は全部ニヤついている。みんな自分自身の身勝手さ、下心が見え透いていることに気づいていなかった。「その態度嫌いです」って言いたかったけどボランティアじゃないから教えてあげなかった。バカ! もう近づいてこないでください。

強い言葉を使ってすみません。友達にとって失礼なやつになりたくない一心で、反面教師像を明確にしすぎかも。自分に甘くて他人に厳しい自覚がある。無自覚でないことを理由にこの態度の正当化をエクスキューズする人にもなりたくない。ああもう自分が信用ならない。言葉しか使えてないからです。

嵩自造人間

ギタレレの弦替えをした。

 

 

文字を読みまくっている。そうでもしないと術なし状態へとシームレスに突入してしまうから。文字を読みまくり続けなければならない。

文字を読みまくっていると、知らない言葉に多く出くわす。調べ続けて、知り続けて、それらの影をスケッチで写しとるように解釈して、自分の脳みそが楽に認識するまで取り込んで、思考領域を伸展、拡張、展開……

面倒だしつまらなくて嫌だ。嫌だということは、興味関心を発端に始めたと思い込んでいたことが実はそうではなかった可能性が大いにあり、でもそんなこと考え始めたらもう、もう……

私の外界に対する関心の薄さは昔からで、これじゃどうしようもないと思って積極的に興味の取っ掛かりを探そうと動いたこともある。今になってしまえばそんなことしなければよかったと思う。たぶん向いている・やってみたいことは別にあったのに、その道は当然のように閉ざされていたから他で人並みの成果をあげるしかなかったのだ。変に努力とかしちゃったから、その最終手段は封じられたまま、というか私の周囲は一切考えもしなかっただろう。

自ら進んでどうしようもないままでいればよかったのに。失敗した。

 

youtu.be

嫌になってしまっているので、これを流しながら書いています。公式YouTubeチャンネルではアニメも見られるのだ!

これなんで11回なんですか? 事情を知っている人、考察した人がいたら連絡ください。

 

 

好きなものの話をしたい。したいけどまだできない。好きなものの話をするのが本当に苦手だ。克服したいのでいずれここに何か書く。

 

苦手なものの話。

例えば、「おもしれー女」の輪郭を誇張したような言動を、狙ってやる、行為。指摘された時には(そういう人の周囲に集まる人々はそんな指摘なんか絶対しないけど)、単なるボケに嫌悪なんかぶつけちゃってまあ……みたいな盾を発動できるように、そのための余白を用意したふざけた言い回し。そのおかしさと、基本的に伝わりやすい作文、たまに利発っぽい言葉選びをするところなんかのギャップをポップさに変換して作ったファン、に対する好意の振り撒き。思い描く「かくあれ」を実現したいがために芯らしい部分を作り周到に主張する不自然さ。

みたいなのが、苦手。

悪口を言いたいわけじゃない。こういう人は当人の思惑以上に愛されるし、それでいいと思う。でも真っ直ぐじゃないな、と感じる。愛してますよ/愛されてますよポーズをとるのは簡単で楽で、なんとなくそんな気がしてくると現実も追い着いてくるようなことが多いから、前面に押し出してアピールすれば手に入れたいものが手に入ることを多かれ少なかれ期待できる。ただこのやり方自体を自己実現の着地点にしてしまうのは怖い。正直言って先述の要素を私が受け入れられないのは、大して感情も動かないウケのために自分を作り続ける人とその周りを取り囲む人の両方を空虚だと感じてしまうからだ。ルーツも信念も他人からしちゃ知りようがない上にそもそもどうでもいいのに、そんな状態で視線を集めることを心から望んでいるとは思いたくない。

人にポジティブな感情を伝えたければ真正面からぶん殴りにいくのが一番いいと思う。言いたいことがあれば言えばいいと思う。誰にも何も打ち明けられない、みたいなのは不健康だ。大袈裟な話みたいだけど、究極的にはこういう話なんだと思う。

 

ここ数ヶ月、考えることの終着点がいつも同じだ。強いデジャヴ。

 

 

 

youtu.be

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モルヒデン

更新がかなり久々になった。

ワニやバクに乗っ取られた後にも、本当に本当にいろんなことがあり、いろんな人と話し、いろんな人に呆れられ(たぶん)、この頃はめちゃくちゃあったかい布団でたくさん寝ている。

 

半年間くらい何をしていたのか振り返ろうと思ったが全然思い出せない。たくさんの知らない大人たちの中に飛び込んでいったり、稀に友人と会ったり電話したり、そういうこと以外が何も思い出せない。写真も撮らなかった。

 

10月頭に撮ったこれしかない。あとは住んでいるアパートの廊下で見かけたよく分からない虫とか、洗濯物にくっついて部屋に入ってきたカメムシとかの写真しかない。このピザの味は覚えていない。エビとチーズの味がしたはずだと思う。

 

 

数少ない思い出せることのうちひとつは、おそらく人生一落ち込んだであろう出来事があったということ。

義理とか良心とか社会的に守るべきルールとかがあるから(そうでなくても)、関わった人を中傷したり個人情報をバラしたりといった悪事には手を染めませんが、そうしたくなるかもしれないくらい(あくまで程度の表現としての比喩)、落ち込んだ。

他人を傷つける可能性があることをしている、と自覚した時点でそういう被害を受けるリスクを恐れる人はそう多くないんだろうか。私はそういう意味で誰のことも信用していない(するべきでないと思う、自分のことを信用できないのと同じ)から実害を受けるのが怖くて怖くて思い切った言動に出ることはほとんどない。

どうして、なぜ、をこの場で書いても誰も何も得しないので書きません。でも初めて経験する種類の傷つきであったということを書き残しておかないといけない。

 

学業もお金のことも趣味も、何と向き合っていてももうどうでもいいや、という諦念がつきまとう。一般的にあまりよくない精神状態なのだと思うが、ずっとそうなんだから仕方ない。

今回の落ち込みでは、その「どうでもいいや」が行動力の重石になることがなかった。以前までの状況を取り返したいという思いが強く、どちらに転んでも構わないからとにかくできることはして言えることは言おうとした。この一件があったからといって私の人生は終わるわけでもないし、私の人生の終わり方にほとんど影響しないであろうという考えの現れである。悲しみが誘発する「どうでもいいや」の自暴自棄さに振り回されずに済んだのは、自分は自由に終われないということを受け入れ終わった段階にすでにいるからだと思う。それがわかった。

大きな落ち込みの波自体久々だったような気がするので、数年越しの自分の精神的な成長を感じた。もっとも、渦中はそんな呑気なことは考えられなかったが。

一方で私の性格のずるい部分も注視せざるを得なかった。誠実であろうとする姿勢はずるい。主張する自身を正当化する力が強く、逆に言えば相手の非を強調するから。慇懃無礼みたいなものだ。でも考える時間がある場合に限ってはどうしてもそうなってしまう。誰が見てもずるくないと判断できるような方法はないのだと思う。うっかり被害者の顔をしてしまっていないか、神の仕草を真似てしまっていないか、どれだけ心配してもし足りないし、大抵はその問題の本質部分に何ら関係しないから、心配しても意味がない。でもやっぱり心配しちゃう。心配だから。心配で心配で。

 

この件については人にあんまり話したくない。陰口になってしまうかもしれないから。事の顛末は本当に徹頭徹尾ほとんど意味がわからないので、意味不明さに対する苛立ちを無意識に表してしまわないとは限らない。私は陰口をできるだけ言いたくないんです。

 

 

ところでタイトルの「モルヒデン」は無い言葉です。何だと思った?

モルヒネとかmorbidとかに似ているから病的なイメージがちらつく。かと思えば、頭の中で反芻してみるとちょっと間抜けでぬくもりをともなう感じもあるような気もしてくる。

守る秘伝、洩る秘伝、盛る秘伝。だんだんないがしろにされていく秘伝。もしくは隠されたモルモット、モル(hidden)か。モルモットの成体は結構大きいから隙間とかに隠すのは難しいと思う。

バクです

どうもこんにちは。バクです。

 

 

 

 

 

 

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…………イライラしてるとさあ

 

 

 

 

 

 

 

「論破」したくなってくるよなあ!?!?!?!?!?!?

 

 

 

 

 

 

 

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