更新がかなり久々になった。
ワニやバクに乗っ取られた後にも、本当に本当にいろんなことがあり、いろんな人と話し、いろんな人に呆れられ(たぶん)、この頃はめちゃくちゃあったかい布団でたくさん寝ている。
半年間くらい何をしていたのか振り返ろうと思ったが全然思い出せない。たくさんの知らない大人たちの中に飛び込んでいったり、稀に友人と会ったり電話したり、そういうこと以外が何も思い出せない。写真も撮らなかった。
10月頭に撮ったこれしかない。あとは住んでいるアパートの廊下で見かけたよく分からない虫とか、洗濯物にくっついて部屋に入ってきたカメムシとかの写真しかない。このピザの味は覚えていない。エビとチーズの味がしたはずだと思う。
数少ない思い出せることのうちひとつは、おそらく人生一落ち込んだであろう出来事があったということ。
義理とか良心とか社会的に守るべきルールとかがあるから(そうでなくても)、関わった人を中傷したり個人情報をバラしたりといった悪事には手を染めませんが、そうしたくなるかもしれないくらい(あくまで程度の表現としての比喩)、落ち込んだ。
他人を傷つける可能性があることをしている、と自覚した時点でそういう被害を受けるリスクを恐れる人はそう多くないんだろうか。私はそういう意味で誰のことも信用していない(するべきでないと思う、自分のことを信用できないのと同じ)から実害を受けるのが怖くて怖くて思い切った言動に出ることはほとんどない。
どうして、なぜ、をこの場で書いても誰も何も得しないので書きません。でも初めて経験する種類の傷つきであったということを書き残しておかないといけない。
学業もお金のことも趣味も、何と向き合っていてももうどうでもいいや、という諦念がつきまとう。一般的にあまりよくない精神状態なのだと思うが、ずっとそうなんだから仕方ない。
今回の落ち込みでは、その「どうでもいいや」が行動力の重石になることがなかった。以前までの状況を取り返したいという思いが強く、どちらに転んでも構わないからとにかくできることはして言えることは言おうとした。この一件があったからといって私の人生は終わるわけでもないし、私の人生の終わり方にほとんど影響しないであろうという考えの現れである。悲しみが誘発する「どうでもいいや」の自暴自棄さに振り回されずに済んだのは、自分は自由に終われないということを受け入れ終わった段階にすでにいるからだと思う。それがわかった。
大きな落ち込みの波自体久々だったような気がするので、数年越しの自分の精神的な成長を感じた。もっとも、渦中はそんな呑気なことは考えられなかったが。
一方で私の性格のずるい部分も注視せざるを得なかった。誠実であろうとする姿勢はずるい。主張する自身を正当化する力が強く、逆に言えば相手の非を強調するから。慇懃無礼みたいなものだ。でも考える時間がある場合に限ってはどうしてもそうなってしまう。誰が見てもずるくないと判断できるような方法はないのだと思う。うっかり被害者の顔をしてしまっていないか、神の仕草を真似てしまっていないか、どれだけ心配してもし足りないし、大抵はその問題の本質部分に何ら関係しないから、心配しても意味がない。でもやっぱり心配しちゃう。心配だから。心配で心配で。
この件については人にあんまり話したくない。陰口になってしまうかもしれないから。事の顛末は本当に徹頭徹尾ほとんど意味がわからないので、意味不明さに対する苛立ちを無意識に表してしまわないとは限らない。私は陰口をできるだけ言いたくないんです。
ところでタイトルの「モルヒデン」は無い言葉です。何だと思った?
モルヒネとかmorbidとかに似ているから病的なイメージがちらつく。かと思えば、頭の中で反芻してみるとちょっと間抜けでぬくもりをともなう感じもあるような気もしてくる。
守る秘伝、洩る秘伝、盛る秘伝。だんだんないがしろにされていく秘伝。もしくは隠されたモルモット、モル(hidden)か。モルモットの成体は結構大きいから隙間とかに隠すのは難しいと思う。