すいかジュース探そう

こんにちは〜

ソリッド屋←褒め言葉

どんどん四月になる。どんどん五月になる。どんどん六月になる。どんどん七月になる。どんどん八月になる。どんどん九月になる。どんどん十月になる。どんどん十一月になる。どんどん十二月になる。どんどん一月になる。どんどん二月になる。どんどん三月になる。またどんどん四月になる。

 

しばらくお待ち状態2名

 

顔見知りの人たち十数名で集まる機会があった。でもお互い別に仲良くないので「お疲れさまです」と事務的なこと以外一言も交わさない人も何人もいた。この親しくなさは私たちの間での共通認識だと思う。そう思うから「お金集めまーす」「写真撮りまーす」だけ言って解散したのだ。だって実際私もみんなもお互いに興味を持っている振りすらしないから。

 

 

二ヶ月くらい前から、写真について文章にまとめたいなと思っていた。即時性と一意性の点で、芸術表現のツールとして利用される記録媒体として他より優れているなあとなんとなく考えていたのだ。

文章とか描画とか造形とかは試行錯誤の蓄積そのものが作品であるのに対して、写真は一瞬(またはその連続)の記録そのものであるから、問いと答えとのキョリがみじかい。鑑賞するに耐えうるかを判断できるようになるのは撮った後であって、撮る前に多くを考えることはできない。なにより被写体もカメラ自体もフィジカルなものだという点がいい。像を平面に焼き付ける物質的な現象それ自体に文脈が生じることはなく、撮影者の自発的な働きかけのみによってストーリーが生まれ保存されるというところが、非常にシンプルで信頼がおける構造だと感じる。

そもそも同時に全く同じ写真は撮れないし、メタデータ的な情報も含めれば尚更だ。作品そのものが誰がいつどこで何を撮影したかを証明している。

他方で特に言葉なんかはどうにでも嘘をつけてしまうから不安定だ。それに言葉自体が意味を持つから、それゆえに扱う人によって解釈が異なることが簡単に齟齬を生む。言葉はなまもので扱いが難しくて気を抜くとすぐダサくなるのに対して、写真はとにかくソリッドでかっこいい。

いいなあ羨ましい。写真みたいな存在になりたい。もちろん「写真を撮る人になりたい」とは別の意味。

 

「即時性と一意性」とは言ってみたけれど、この表現が正しいとは思わない。どう表せばいいんだろう。何かを見つけたときの新鮮さをほぼそのまま表す術に手を伸ばしやすい、ということが言いたかった。単に唯一無二だとかいう話ではなく。唯一無二なんか何を使ったって簡単にはなれない。

 

関連して思ったのだけど、制作を日常的にやっている人特有の雰囲気が好きなんだよな私は。答えを出すことに関して他人を頼りきっていないのがかっこいい。あと試行回数が多いのもかっこいい。自分にはないところだから憧れる。憧れるから、そういう人たちに嫌われたくない。できるだけ対等でいられるよう目指したい。

尊敬する相手に対しておこがましい人になりたくないんです。「私はあなたを尊敬しています、興味深いです、だからあなたの近くにいます」とわざわざ宣言するくせにその言葉と矛盾した言動をするような人のことです。言葉ばかりの尊敬を、無自覚にも免罪符にしようとする人。

私個人の経験からいえば、「面白いねえ!」とか「その発想いいねえ!」とかだけ言ってくる人って一緒にいてもだいたいあんまり楽しくない。その驚きって単体では別にそんな意味ないし。そういう人に限って、その面白さや楽しさを理由にしてその人のエゴを押し通そうとしてきて苦手だ。私はあなたの娯楽じゃないんですけど、と思う。なんかイラついてきた! 記憶の中のその人たちの顔は全部ニヤついている。みんな自分自身の身勝手さ、下心が見え透いていることに気づいていなかった。「その態度嫌いです」って言いたかったけどボランティアじゃないから教えてあげなかった。バカ! もう近づいてこないでください。

強い言葉を使ってすみません。友達にとって失礼なやつになりたくない一心で、反面教師像を明確にしすぎかも。自分に甘くて他人に厳しい自覚がある。無自覚でないことを理由にこの態度の正当化をエクスキューズする人にもなりたくない。ああもう自分が信用ならない。言葉しか使えてないからです。