すいかジュース探そう

こんにちは〜

情緒

キャベツ太郎

2月は3回も投稿したのか〜これで4回目になるな〜と思っていたら、もう3月だった。

3月って、なに? 卒業という大イベントらしきものが鎮座しているわりに、その意味合いと季節感とが大して関わりがないからか、その当事者であってもパッとしない月な気がする。本当にそうですか?

 

以下は状況と情緒の構造化のための、少々愚痴っぽい内容になっています。かなり支離滅裂。

 

私は自分のことを人格障害っぽいな〜と思っており、その要因は人格形成の時期における家庭内での健康なコミュニケーションの不足にある、とも思っている。

基本的に健康な家庭は「情緒的安全が保たれる場」として機能するが、私の場合そうではなかった。人格の受容という、社会的に安全な立場を許されるための目標はほとんど果たされず、また私の言動に対するリアクションの多くが合理性と連続性を欠いていて、信頼を置くあてがなかった。

そんな状況がどんな風にできあがるかというと、例えば、以前教わった通りにごみを分別すると、それが間違っていることを指摘される。違ったっけ? と確認すると、いつも全部人任せにしてるから分からないんでしょ、自業自得だ、と責められる。ちなみにそれは事実とは異なっているので、そんなことはない、と言い返す。すると、お前は嘘つきだと言われる。

第一に言動の矛盾。次に虚偽誤謬の押し付け。論点をすり替え、話題を抽象的にしながら私の非を指摘し、どんなに物覚えが悪く気の利かない出来損ないであるかを根気強く主張してくる。詭弁のオンパレードに反論は無意味だ。

学習成果と事実を無意味に否定する言葉を受け続けると、条件付きの信頼でさえ他人に寄せるのが難しくなる。「おかしいのはお前だけ」と見下され続けてみてください。たった一人にそれをされるだけで、本当におかしい気がしてきて、おかしくなってしまう。うまく記憶ができなくなっていく。こうして虚偽の「現実」を作り上げ自分に付していく癖がつき、他人に見せようとする像と現実の自分との乖離が激しくなっていった。

苦しみながら言語化する努力を続けたので、不幸にも私はこれらを正しく自覚することができ、あくまで感情的にならずに問題の構造を理解し、健康を害する手段に頼らずに済んだ。ただ、信頼感情に関してはおそらく一生克服できないだろうと思う。

彼女の努力の甲斐あって、私はそこそこの加害欲求を持ちながらもこれを理性で抑え込みなんとか普通の顔をして生活できる人間に育った(他人の目に触れる場で言える最大の皮肉。事実でもある)。こうなると当の本人にド正論をぶちまけて論破することも不可能ではないのだが、私は人の尊厳を傷つけるようなことは言いたくない。しかしそれは私が傷つき続けなければならない理由にもならない。

なぜ私だけ彼女の癇癪に付き合い続けなければいけないのか? 以前「年を重ねていても加害欲求を抑えられない人はたくさんいる。愚かだ」と話していたが、それはあなたにもあてはまるのではないのか? 私が自分を肯定する力を育て切れなかったのはあなたのせいではないのか?

少し前に、言葉足らずなまま和解を試みようとしたとき、そのとき初めて意思疎通がとれたと思ったのは勘違いだった。私の主張なんか受け止めてもらえるはずがなかった。

私を見ている人がどこにもいない。言いたくないけど本当に泣きそうなのに、それを知っている人がいない。世界に期待などできなくなっている人間に、気にすることなんてないよとのたまう人が大勢いる。私の能力について勝手に評価するな。私の外見について勝手に評価するな。私がどういう気持ちでものを考えてきたと思ってるんだ。こんなに生きることに真剣でズタズタになってるのに、人に媚びたりできるわけない。

 

意思疎通ができればもうなんでもいいので、私と友達になってずっと仲良くしてください。