すいかジュース探そう

こんにちは〜

祈り気取り

すいかジュース見つけた!

フォロワーさんにおすすめしてもらったやつを見つけました。次は180mlのを探して買います。見つけたらまた報告します!

 

つい先日大学を卒業いたしました。私はイベントごとに関してあんまりあれこれ思わないたちなので感想という感想は特にないんですが、当日は朝から晩まで、知っている人も知らない人もみんなニコニコしていてうれしかった。一緒にいる人が笑っているとうれしい。それが一番。

ただ、学位記を授与された後の学科長の言葉がとても心に残ったので、そのことだけははっきりと書き残しておきたい。引用はしませんが。

経験の多さに伴う年の功というのを私は信じていて、先生の話す言葉にはそれが滲み出ていたように感じた。(他の先生も含め)先生方の授業を受けながら「おじいちゃんめ……」と思うことは多かったけれど、彼らのように生きることができれば本当に楽しいだろうなと羨ましくもあった。それは私たちに送られた言葉の通りに研究し、生活してきたからなのだろう。

人生を貧しくしてしまわないために覚えておくべきことを餞とするなんて、なんて素敵なんだろうと思った。同時に、これは祈りだ、とも思った。こんな祈りに触れる機会が今後増えていくのだろうかとぼんやり考えた。

 

以下は私自身の話。

私は、生きることとは祈りであり、それすなわち愛である、と本気で信じている。そして私が実行できる愛の形は未だそれのみである。

例えば、遠く離れた場所に住む友人が誕生日を迎えたとき。「良い一年にしてね」はちょっと無責任かなと考えて、思案した挙句「できるだけ心おだやかに健康に過ごせますように、うれしいことが多く起こりますように」とかいう回りくどいメッセージを送ることになってしまう。でも、どうやっても遠くの他人にしかなれない私が大切な友人のためにできることといえば、祈ることくらいしかないのだと思う。

どれだけ何かしてあげたいと思っても、物を送ったとしても、相手が今現在どんな事情を抱えているかは知り得ないことが多いし、関係性を見誤って出しゃばるなんてことをしてしまうのは愚かだし、だから、相手を大切に思う気持ちを可能な限り曲げずに昇華させる方法は、祈りなのだ。

自分にできることの限界を知り、諦め、それでもただ生きていてほしいと思うから祈る。もちろんもっと具体的な祈りもたくさんある。気にかけていることを伝える方法は他にもたくさんあるのだということも知っている。今の私には、わかりづらい言葉でそっと伝えるくらいしかできない。その臆病さをいずれは捨てたい。

ほんの少しの諦念を携えた願いが相手に届くとき、私もまた少し救われる。明日以降、もっと多くの祈りをたくさんの方法であらわすことができるようになりたい。そうして多くの人が少しずつ救われていく世界を作りたいと、夢みたいなことを考える。