すいかジュース探そう

こんにちは〜

凪ぎ逃げ

歩いてる



 

もうずっと頭が砂漠状態だ! 新しいことを何も思いつかないし情報を咀嚼することも難しい。言葉もうまく浮かばないので文章を書くのがめちゃくちゃ遅くなっている。

理由はほとんど分かり切っていて、全然人と会わない、会話していないからだと思う。予想外のことが全くと言っていいほど起こらない4週間を過ごした。刺激が極端に少ないとこうもパフォーマンスが落ちる。

周囲に知り合いが全くいない状態で始まった新生活は、ただただ運の悪さと私の怠け癖のせいで成功とも失敗ともつかないヌルヌルとした滑り出しとなった。所属先はあれど、結びつき(といっても決して大袈裟なものではなく、「私はあなたのことを知っていて、あなたも私のことを知っている」程度の)を肌で感じるような場を私は持っていないのだと痛感した。アウェイな状況自体には基本的に耐性があるのに、「私を認識し」ている人が増えない、あるいは顔を見て表情を確かめながら時間の流れを共有しながらコミュニケーションを取れないというのがこんなに辛いのかと思った。

 

ちょっと話が逸れますが、私は話している相手の表情があまり変わらないと不安になる。あと目をめちゃくちゃ見る。私や私との会話に興味を持っている視線なのかどうかが気になるから。表情や視線をよくよく見て「なんか違うな」と一度思ってしまうと、その後はどれだけ言葉を投げかけても相手には届かない気がして諦めたくなってしまう。そうでない場合との違いはまだうまく言語化できない。

いや、どうだろう。視線じゃないかも。目を逸らして話す人とでも全然楽しくやれる。私は一体何に違和感を感じてるんだ。「この人私のこと見てないな」という感覚は確実にあるのだけど、それだってこちら側の勝手な想像に過ぎないという可能性も大いにある。

例えばの話。「あなたのことが本当に大事で心配で、具合を悪くしたと聞いたら居ても立ってもいられないくらいです」みたいにアピールしてくる人が見せる態度や表情、使う言葉、投げかけてくる質問が残念なことに「なんか違うな」という感じだった場合が一番厄介だ。互いの意図の噛み合わなさが最大まで振り切ってしまい、届かない、受け取れない、快でないコミュニケーションが出来上がる。

現在進行形かは置いておいて、こういうことは実際にある。なんとも切なく迷惑な話だ。本当に疲れる。疲れるからそれを避けるために相手を見極めようとしてしまう。すみません。でも見極めたところで断れなければ意味がない。私は断れたことがない。

結局、整合性かもしれない。あと適度に想像することと察すること。求められてないことはむやみにしない。なんでもありがたがるのは良くない。思い上がらない。肝に銘じたい。

 

さっきアド街ック天国を見てたんですが、紹介したまちの風景を100カット連続で映すという新コーナーをやっていて、これがすごく良かった。昔やってた女性を映しまくるやつの6000倍良い。その町のことがより好きになる。どこでも見れるような風景も、すべてが連なって全景を作り出す。なんでもないものほどたくさん見たいような気がする。

最近よく散歩をするから、道端の生き物(植物を含む)や人が連れ歩く様子をよく観ている。散歩中の犬がたんぽぽが気になり始めてそこから動かなくなり飼い主を困らせているのとか、移り住んだ先で見かける鳩は見知ったそれよりも痩せていることとか、出会ってから日がまだ浅いであろう大学生たちが連れあってなんでもない風景を写真に収めているのとか、そういう自分の外側で起こっている出来事を観測することで自分が景色の一部になれる感覚がある。世界の時の流れと自分は共にあるのだということを確認できる行為、それが散歩。

 

あまりの「何も無さ」に耐えかねて実家へ逃げ帰ってきたところなので、なんとかして気分も脳みそも復活させていきたい。出歩きたいし勉強もする。とりあえずサーティワンの50周年フレーバーをクリアしに行きます。